四境の役 大島口の戦い

 慶応2年6月7日
  幕府軍艦が突然上関沿岸を砲撃、四境の役の戦端開かれる。
  幕艦は続いて大島郡の安下庄、外入、油字を砲撃して去る。
  幕府から大島攻めの命令を受けた松山藩は興居島(こごしま)に待機。

 6月8日
  早朝幕艦2隻が松山兵を乗せた和船10艘とともに油宇沖に現れ砲撃した後、
  兵を油宇に上陸させる。
  村人は山中へ逃げ隠れた。隠れた場所は今でも、かくれ堂とか、かくれ谷と呼
  ばれている。
  幕艦はさらに安下庄を砲撃したのち松山藩の和船を援護して松山領の津和地島
  まで引上げた。
  一方、久賀浦沖に午後2時ごろ幕艦富士丸、翔鶴丸、八雲丸、旭日丸が四艘の
  和船をひき、幕府の歩兵、砲兵を乗せて宮島より来襲し、砲撃したのち夕方沖
  へ乗り出し、前島へ碇泊した。

 6月9〜10日
  大雨の中、長州の狙撃隊が土居村に集合し、84人が屯宿した。

 6月11日
  幕軍の大島郡総攻撃が安下浦、久賀浦の両面から開始された。
  午前6時頃、幕艦富士山丸、大江丸が和船60余艘とともに安下庄に襲来、軍艦
  から砲撃を加えながら、600人が、甲の山麓三ツ松と庄の三手に分れて上陸
  し、続いて2,000人が上陸した。松山兵は、安下庄の快念寺を本陣にした。
  長州藩では、安下庄守備の狙撃隊、大砲隊など320人程が田中へ陣取り、大砲
  隊は2門の砲を撃ちかけ、狙撃隊も、上陸の松山兵を撃ち、3−40人を負傷さ
  せたが、軍艦から盛んに大砲を撃ちかけるし、敵兵は人家に放火しながら、
  山の手へ攻めあがってきたので、味方は源明口、岳山口へ退いて見下ろすと、
  安下庄一帯は猛火に包まれていた。
  一方、久賀浦では、午前10時頃から前島で待機していた幕軍3,000人を砲撃の
  援護で上陸させた。
  勘場は焼かれ、人家も放火され一面火の煙に包まれた。
  代官や軍監も勘場を引き払い、本陣の久福寺へ引き揚げ、さらに畑まで退い
  た。
  源、明口、岳山口へ引き揚げていた安下庄の守備の狙撃隊、大砲隊なども、
  久賀浦の苦戦の様子を聞き、畑まで退いて、代官、軍監と合議して、共々午後
  九時ごろ一先ず屋代へ引き揚げ、夜半海を渡って遠崎まで退いたが、遠崎の陣
  屋が満員のため更に柳井まで退いた。
  これにより、大島郡は幕兵に占領されてしまった。
  大島郡救援隊の先鋒、第二奇兵隊軍監林半七は、すでに遠崎に来ていた。

 6月12日
  安下庄へ松山藩兵は残らず上陸し、各寺や会所を陣所とし朝昼炊き出しをし、
  夜は、船へ帰った。
  この日、高杉晋作はイギリスから買い入れたばかりの、甲鉄艦丙寅丸を指揮し
  て、遠崎から暗闇を利して久賀沖に碇泊していた幕艦に夜襲をかけた。
  これをきっかけに長州軍の反撃が始まった。
  第二奇兵隊の軍監世良修蔵、白井小輔、林半七、浩武隊総督小笠原弥右衛門、
  軍監山県甲之進、上関代官小川市右衛門らの軍議により、14日が、大島郡進撃
  の期と一決した。
 屋代口
  第二奇兵隊、浩武隊、清水美作一手、以上七小隊、大島郡練兵一小隊、
  合計八小隊
 沖浦口
  戸田へ阿月兵、上関兵、大島郡兵の三小隊、横見へ上関兵、大島郡兵の二小隊
  日見へ大野兵、大島郡兵の二小隊
 三蒲、椋野口
  浦滋之助、村上亀之助、村上河内、村上太左衛門、飯田弥七郎、平岡甲太郎の
  手勢計十二小隊半

 6月14日
  村上河内の家兵は、日暮れから勢揃いし乗船、一旦笠佐島で整列、一番鶏の鳴
  くころ小松浜へ上陸した。
  村上亀之助の家兵は、午後五時頃集合、九時頃勢揃いして渡海した。
  平岡甲太郎の家兵は夜になって、小松開作へ渡り直ちに三蒲、椋野口へ向かっ
  た。

 6月15日
  各地で激戦を展開した。
   椋野村、久買村境の国木台。
   久賀の庄地の山頂付近。
   久賀の畑の奥。
   岳山の周辺。
   帯石方面
   源明峠、源明山付近(伏兵となって待機した)

 6月16日
  各地で激戦展開
   帯石通り、秋往還、深山口、源明峠など。
   この日普門寺は放火で焼失した。
   源明峠を目指して登った敵兵が、凡そ八合目まで登ったところを、待ち構え
   ていた味方の諸隊が打ちかかり、又峰より石を転がして、攻め立てた。
   敵の手負いは数知れず、首を打たれた者も多数あった。
   敵はついに浮き足たち、先を争って逃げ帰った。
   従軍した三家老の一人は、安下庄より逃げ帰る時、自分の具足を農兵に着
   せ、農兵の具足を自分が着て逃げたという。

 6月17日
  久賀方面では17日の決戦で、幕兵を追い下ろし、丸山、庄地まで攻めつけたり
  幕兵は残らず乗船した。
  味方勝利の戦局はこの日の激戦で決まった。
  幕軍は、20日明け方より碇を上げて退却した。